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ザ・スティングというシューズは、1970年代のナイキを代表するモデルとして、何かと取り沙汰されることが多い。その理由はまず独創的なデザインにあると考えられるけれど、では何故そのデザインが生まれたのか、という背景について取り上げられたことは、ほとんど無いのではないか。というわけで、今回はちょっとマニアックな話題を。

中長距離でのあらゆる全米記録を樹立した、スティーヴ・プリフォンテーン。世界的には無名の選手と言えるが、アメリカ国内では伝説的なアスリートであり、伝記映画も2本制作されている。’75年5月30日、パーティーの帰り道に愛車MGで横転事故を起こし、脱出することが出来ず命を落とした。

スティングの話を始める前に、紹介しなければならないシューズがある。「プリ・モントリオール」という名の陸上競技用スパイクシューズがそれで、1973年に発売されたモデルだ。写真を見てもらえば、ザ・スティングとの関係性は容易に理解出来るだろう。両者のアッパーデザインはほぼ共通なのである。


このスパイクシューズの名は、1976年にカナダのモントリオールで行われた夏季オリンピックに由来する。つまりナイキとしての、モントリオールへの布石という意味だ。しかし頭の「PRE」にはもう一つの意味がある。スティーヴ・プリフォンテーン。“プリ”というあだ名で呼ばれたランナーのリクエストによって、このシューズは生まれたのだ。


1973年当時、プリはアメリカを代表する陸上選手だった。1500mから10000mまでの、ありとあらゆる全米記録を更新し、1972年のミュンヘンオリンピックにはアメリカ代表として出場。その時は5000mでの4位が最高と、惜しくもメダルは逃してしまったものの、次回のモントリオールオリンピックでは、複数種目でのメダル獲得が期待されていた。


オレゴン大学出身のプリは、同大学陸上部のコーチであり、ナイキの創業者の一人でもあるビル・バウワーマンとの二人三脚で、その才能を伸ばしていった。バウワーマンも指導者として注目されていた時代であり、ミュンヘンオリンピックではアメリカチームの監督をつとめていた。大学を卒業したプリが競技に専念出来るよう、バウワーマンはナイキでの仕事を斡旋し、プリはナイキ初の契約選手となる。




バウワーマンは選手達のリクエストに応えて、あるいは選手達を実験台として、シューズ開発も行う指導者として有名だったが、それはプリも例外ではなかった。プリはシューズの爪先付近の縫い目が気になると言い、もっと足を包み込むような感触のシューズは作れないか、とバウワーマンに相談した。その答えがプリ・モントリオールというシューズだったのである。


1973年以降のプリの快進撃は、常にこのシューズと共にあった。レース毎に記録を更新するプリの姿に人々は熱狂し、“GO PRE!”と叫んだ。しかしその熱狂が長く続くことはなかった。1975年5月30日。プリは不慮の自動車事故により、突然この世を去ってしまったのである。まだ24歳の若さだった。


プリの死からまもなく、ザ・スティングは生まれた。プリのために作られたスパイクシューズと共通のアッパーを持ち、薄いミッドソールと吸盤状のアウトソールを備え、“包み込むような感触”の、長距離トレーニング用シューズに生まれ変わっていた。プリが生きていたら、きっとこの靴を履いてトレーニングをしていたことだろう。しかし彼がザ・スティングを履くことはなかった。


プリ・モントリオール/ザ・スティングのアッパーデザインはライバルメーカーにも影響を与え、ブルックスやエトニックといったメーカーからは模倣商品が発売された。しかしザ・スティングに対する市場の評価は必ずしも芳しくなく、薄いソールによるクッション性の悪さが災いして、ランニング専門誌のランキングでも上位に上ることは無かった。一般市場にはプリほど爪先の感覚にこだわり、クッション性よりも軽量性を優先させるランナーがいなかったということだろう。そしてこのシューズは時代の波に消えて行く。まるで主を失った飼犬のように……。


アッパーデザインはプリ・モントリオールと基本的に同じものだが、カラーリングは変更され、シューレース調整を容易にするDリングも採用された。




■芥川貴之志Takatoshi Akutagawa aka AKU

ファッションディレクター

Footcornermag.編集長

1990年代よりスニーカーコレクションを始め、エディター、スタイリストとして活動する傍ら、スニーカーメーカー各社のプロジェクトに参画。カラー提案やオリジナルデザインモデルの発表を行う一方、2005年には自身のコレクションを元に編纂した書籍「Blueribbons」を出版。同書の表紙に採用されたのも、今回紹介した「THE STING」だ。