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FEATURE
MIYASHITA PARK
特集|宮下公園 #1/3
TEXT+PHOTO :: TAKATOSHI AKUTAGAWA
2010年5月。いつものようにネットでニュース記事を見ていると、ちょっと気になる記事が目に留まった。
—宮下公園をめぐるホームレスとナイキの戦い
いつの間にかホームレスの定宿となってしまった宮下公園を、ナイキが改修して「宮下NIKEパーク」とする計画があると言うのだ。しかも本来予定されていた開園時期は、2010年4月。ところがこの記事を見た5月の段階でも、着工すらされてなかった。
この公園改修プロジェクトは、極秘裏に進められていたという。もちろん僕も知らなかった。しかしどこからかその情報が外に伝わり、ホームレスを支援している団体の耳に入ることとなった。自分たちの住処が一企業に奪われる。そうした危機感が、対立の構図を生み出した。

実を言うと、この時点で僕は記事に特別の関心を寄せていなかった。この3年前の2007年に、大阪の長居公園で、ホームレステントを退去させる行政代執行が行われたことを、思い出したからだ。
現代における社会とホームレスの関係は、極めて難しい。昔のように働く気が無い、もしくは働く能力が無い人たちが、乞食となって路上生活をしているのではなく、今ホームレスとなった人々のほとんどが、十分に働くことの出来る、働く意欲のある人たちだからだ。
彼らが路上生活を余儀なくされているのは、不況のせいでもあり、彼ら自身の運のせいでもあろうけれど、最大の原因は政治にあると言っていい。かつて相互扶助を重んじ、社会全体で豊かになろうとした日本の姿は、もう存在しない。民主主義という言葉が、資本主義、個人主義、競争主義といった言葉と同義語になってしまった現代の日本では、弱者はさらに弱い立場へと、無限のスパイラルで落下せざるを得ない。そういった歪んだ社会を作りだしたのは、政治以外の何ものでも無いのだ。
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| 宮下公園では改修部分以外にも、多くのホームレスが生活している。この人たちは今回の騒動とは無関係に暮らしを続けているが、ここは今までにも何度も撤去されては再構築ということが繰り返されており、どうやら暮らしやすい場所のようである。中にはとても凝った家を建てている方もいて、興味深い。自分の家を自分で建てない動物は人間くらいなもので、そういう意味で彼らは至極真っ当な生き方をしている、とは言えないか。 |
国民も、役人も、そういった事情をまったく理解していないわけではない。だからこそ、昔に比べて社会は路上生活者に寛容になったし、それを支援する人たちも大勢いる。だがしかし、法治国家である以上、ある程度の限界がある。国民には納税の義務があるし、住処を得るにはそれなりの対価を支払わねばならない。そうしたルールによって社会という不安定になりがちなものを、かろうじて安定したものに保っているのが、法治国家であるからだ。もしその責務から逃れられる特権階級があるとすれば、社会はたちまちその安定感を失ってしまう。歴史上有名な数々の革命も、すべてはその不公平感から起きたものだ。
社会的弱者であり、不公平な立場に置かれている路上生活者を、どこまで支援するのが社会的に公平であるのか。そのジャッジに、現代の公共機関は頭を悩ませている。
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| 改修に備えて、閉鎖されたばかりの公園(2010年10月撮影)。公園を占拠していた人の私物などは撤去されているが、落書きが目立ち、ゴミが散らばり、全体的に退廃的な雰囲気となっている様子が見て取れる。ここで子供たちが遊ぶ姿は、あまり想像出来ない。 |
大阪・長居公園での代執行は、まさにそのジャッジが下された瞬間だった。僕はそのニュースを見て、これから各地で同じようなことが起きるのだろうと思った。ホームレスの人々にとっては不幸なことだが、彼らの幸福のために他人が不幸になることがあってはならない。その幸福と不幸福の境界争いが、様々な形で行われるだろうということを、予感していた。だから宮下公園のニュースを見た時にも、「あぁこれは、起こるべくして起きたな」という風に捉えていた。その当事者に、ナイキが関わっていることが、少し意外だったけれども。
しかしもっと意外だったのは、この争いが数ヶ月経っても解決せず、予想外の広がりを見せたことだった。2010年9月末。再び宮下公園は、ニュースとなっていた。ついに9月24に行政代執行が行われ、数週間のうちにも工事が始まるという記事だったのだが、気になって色々と調べてみると、すでにホームレスはそこにはおらず、撤去されたのは主にアーティストの作品や備品だという。一体どういうことだろう?僕は俄に関心が湧きおこり、古い記事や関連する団体のウェブサイトなどを、見て回った。するとどうやら、ホームレスの多くは既に退出が済んでおり、その後は「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」という団体の人々が、公園の一部を占拠する状態が続いていたのだと言う。

行政代執行、という言葉が一般に有名になったのは、成田空港の闘争からだと考えられるが、あれは住民と行政の対立だった。そして長居公園では、そこで仮の住まいを得た者と行政が対立した。宮下公園もそれと同じ、と思いきや、第三者が反対組織を作り、行政と民間企業の連合体に対峙している。つまりこの対立は、恐らく今までにない新しいカタチのものではないか。そして我々にとって身近な、ナイキという企業が当事者となっている。僕はこの対立を自分なりに理解し、分析し、レポートすることに決めた。FOOTCORNERでこれが記事となっているのは、つまり、そういうわけだ。多くのメジャーなマスコミ、なかでもファッションやスポーツを専門とするメディアは、この対立に目を向けないだろう。だけどこれはナイキを履く僕らにとっても無視出来ない、渋谷という東京を代表する街で起きた、リアルな対立なんだ。
TO BE CONTINUED…


















