SIDE STORIES OF BLUERIBBONS
THE FIRST CORTEZ
NIKE LEATHER CORTEZ
ブルーリボンズ|ナイキ レザーコルテッツ
TEXT :: TAKATOSHI AKUTAGAWA
PHOTO :: HIROYUKI YAMADA
コルテッツというシューズは、当初ナイキの創業者の一人であり、オレゴン大学陸上部の監督でもあったビル・バウワーマンによって開発され、日本のオニツカタイガーから発売されていた。その名前はかつてスペインを征服したフェルナンド・コルテスに因んでおり、1968年に行われたメキシコオリンピックを征服するという意味がこめられていたのだ。
その後オニツカと米国におけるオニツカの代理店であったBRSが対立し、BRSは自らのブランド「NIKE」をスタートさせるのだが、最初のプロダクトであるサッカーシューズのテスト販売を経て、いよいよ本格始動、ということで発売されたのが、このレザーコルテッツだった。
形は初期のタイガーコルテッツのそれを踏襲しており、ヒールプラグ付きになっている。最初は台湾製で、’72年からは日本製になる。日本製のものは日本ゴム社(現アサヒコーポレーション)が製造したものだが、それ以前の台湾製は創業者フィル・ナイトが見つけた台湾の工場に直接発注されていたようだ。’75年には後継モデルのレザーコルテッツDXにモデルチェンジするが、両方のレザーコルテッツが掲載されたカタログもある。これは単にファーストモデルの売れ残りをさばくためだったと推察されるが、ともかく一時的には併売されていたようだ。
特筆すべきはインソールで、既にネオプレンラバーにジャージを貼り合わせた物が使われている。これはウェットスーツに使われるものと同じ生地で、カップインソールが登場するまで、’70年代のナイキのランニングシューズの多くに使われた。滑りが良いので足入れがしやすく、それ自体にクッション性があるので履き心地も良い。当時の他のメーカーでは使っていなかった素材だが、このインソールはBRSが独自に作ったものではなく、今でもウォーキングシューズやインソールを専門的に作っている、SPENCOというメーカーから供給されていたもの。製品にその記述は無いが、当時の広告では「スペンコ社のインソールを使用」と宣伝していた。
それにしても初期の台湾製は作りが悪い。後の日本製とは雲泥の差と言えるだろう。最初から日本で生産することにしなかったのは、ナイキ・ブランドの立ち上げをオニツカ社に隠蔽するためだったと想像されるが、複数国の工場で試験的にシューズを生産し、その中で一番良かった日本で製造する事にしたフィル・ナイトの選択は賢明だったと思う。
またBlueRibbons発刊にあたって、文章の内容をナイキ本社でチェックしてもらったところ、台湾ではサンプルを製造しただけで、製品は作っていないという指摘が一番の古株社員から入った。しかし台湾製のレザーコルテッツ1stはそれなりの数が日本にも入ってきていて、僕自身複数のサイズを所持していたこともある。それがすべてサンプルだったというのは、いささか不自然な話であって、僕はやはり台湾製のコルテッツも販売された、と考えている。
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