COLUMN
俺の1ペニーを返せ
PUMA RALPH SAMPSON
コラム|プーマ ラルフ サンプソン
TEXT+PHOTO :: TAKATOSHI AKUTAGAWA
学生時代に始めた、日本国内でのデッドストックスニーカー探しは、意外と早く行き詰まった。僕がそれを始めたのは、決して早い方ではなかったから、行く先々で残り物をつかまされているのが、自分でもよくわかっていた。店のオジサンやオバサンは口を揃えてこう言った。「最近は東京の方からよく靴を買いにくる人がいるねぇ」
当時はフリーマーケットの全盛期だったこともあり、僕のようなセミプロが大勢いた。僕は一応学生だったので、そんなにたくさん時間があったわけじゃないけれど、プータローだったりフリーターだったりした連中は、それこそ街から街へと渡り歩いて、古いスニーカーを掘り起こしていたから、あっという間に井戸は枯れてしまったというわけだ。
スニーカーを探しに行く時は、大抵なんのアテも無い。何も出なかったらどうしよう、といつも考えながら旅立つのだけれど、諦めて帰ろうと思った矢先に、何となく立ち寄った靴屋で掘り出し物を見つけたりすると、次も何か出るだろうと期待をして、再び旅に出るということを繰り返していた。ところが何も見つからないことが、2度、3度と続くと、すっかり気持ちは折れてしまって、冒険をしようという気にもなれなくなってしまう。ガソリン代と高速代だけでも、学生の身分ではかなりの投資だった。
ある時、よく一緒にスニーカー探しをしていた友達に、アメリカに行ってみようか、と呟いてみた。すると彼は、いともたやすく「行こう行こう」と言い出した。仲間が出来たら、話は早い。さっさと国際免許証を取り、親に金を借りて、仲の良い古着屋からアドバイスをもらいつつ、旅立つことを決めた。行き先はニューヨーク。多くの古着屋は西海岸に飛んでいたから、東海岸ならまだ手つかずのところもあるだろう、という安易な発想。相変わらずなんのアテもなく、なんの情報もなく。ただニュージャージーに住む友人の両親が予約してくれた、”レッドカーペット”という怪しげなモーテルの住所を書いたメモ書きだけは大切にポケットにしまって、ニューヨークに向けて飛び立った。
アメリカに行くのは初めてじゃなかったけれど、クルマを借りて、自分でモーテルにチェックインして、街をウロつくのは初めての経験だった。ハーツレンタカーのお姉さんは、ハタチの僕に運転をするなと言う。レンタカーを貸せるのは、21歳以上だから保険も効かないのだと。学年で言うとひとつ上だった友達が一緒だったお陰で、クルマを借りることは出来たから、一度借りてしまえばこっちのもの。どうせダメなら免許なんていらなかったね、なんて適当なことを言いながら、クルマを走らせる。せっかくアメリカに来たのに、何故かクルマはカローラ。飛行場の公衆電話にあったイエローページからちぎってきた、アスレティックストアのページと地図を見比べて、たまに左側通行をしてしまいクラクションを鳴らされたりもしながら、どうにかこうにかそれらしい街に辿り着くと、そこは黒人だらけの街だった。
ニューヨーク周辺で、スニーカーを売っているショップや、古着を売っているスリフトショップが多い地域に行くと、だいたい黒人の多い街だった。あとはヒスパニック系がいるくらいで、白人はほとんど見かけない。あのルドルフ・ジュリアーニ市長が当選する前で、治安が極めて悪かったこともあるのだろう。その地域に、白人は決して立ち入らないようにしているように見えた。
白人じゃないとはいえ、僕らのような東洋人も珍しい存在。何だこいつらは、という痛い視線を浴びながら、ワゴンセールのスニーカーを漁りまくる。成果は最初から出た。珍しいカラーもののアメリカ製スタンスミスや、’70年代のコンバースワンスター、ナイキのターミネーターなどなど。調子に乗って倉庫を見せてくれ、なんて頼んでみると、壁一面に積み上げられたオールスターチャックテイラーが出現する。何しろ予算が限られていたから、とても全部買うことは出来ず、次の店のための予算を確保しながら、慎重に買っていく。
しかし一つ困ったことに、そういう街のショップはどこも、午後4時頃になると店仕舞いを始めてしまう。その時間帯がくると、あちらこちらで頑丈な鉄格子のシャッターを閉める音が鳴り響く。つまり日が暮れてからは危険ということだ。あらゆる窓という窓には鉄格子がはめ込まれていて、夕方になるとまるで町中が牢屋になったよう。買い物を続けられないのも困ったが、身の危険を感じるのも困った。だから午後になると、僕らは焦って店をまわるようになった。
その店はたしかブルックリンにあったと思う。日暮れが近づいていて、僕らはかなり焦っていたけれど、店頭にはプーマのクライドが並んでいた。値段はセールプライスで39.99ドル。破格の安さとは言い難かったが、仕入れとしては悪くない値段だったので、買うことにした。店の主はおそらくメキシカンと思われる、ヒスパニック系の男。終始ニヤニヤしていて、あまり感じが良くはない。
こういう靴を探しているならまだあるぞ、と言って、彼はほかにも何足かプーマを出してきた。一見すべて同じクライドに見えたが、よく見ると違うものやミッドカットが混ざっている。その一足がこの、ラルフサンプソンだった。
ラルフ・リー・サンプソンは、1980年代初頭のNBAのスタープレイヤーだ。ヒューストンロケッツに所属した彼は、プーマと契約を結び、彼専用のシグネチャーモデルが作られた。もちろん試合で履かれたのは、白いスムースレザーのモデルだが、カジュアル向けとしてブラックxレッドの鮮烈なカラーのモデルも用意された。ファーストリリースは1984年。
ブルックリンでこのクツに出会った時は、もちろんそんなアウトラインなど知る由もなく、僕はただ、このちょっと変わったプーマクライドに心を奪われた。サイズも自分に合うものがある。よしよし、と内心喜びながら、大きすぎたり小さすぎるものだけ省いて、会計をしてもらうことにした。
現金はほとんど底をついていたから、カードで支払うことにしたのだけれど、サインをする時になって、あれ?と思った。こちらの計算よりも、ずっと合計金額が高いのだ。内訳を見せてくれ、と主に問いただすと、彼は一つ一つの値段をあげていったのだが、その値段が店頭のクライドよりも高い。恐らく定価はどれも似たようなものなのだが、主は僕らの顔色を伺って、店頭に出ていないものはセールプライスにしていなかった。
しまった、と思ったけれど、時すでに遅し。あたりは真っ暗になっていて、僕らも焦っている。仕方なくサインをしようとしたのだけれど、一つ納得のいかないことがあった。39.99ドルだったはずのクライドが、40ドルになっている。これはどういうこと?と聞いてみると……
「39.99も40も一緒だろ?それともキャンセルするかい?」
あの頃の僕の英語力と胆力では、太刀打ちすることが出来なかった。諦めて支払いを終え、そそくさと店を立ち去る若い二人の東洋人。あの後味の悪さはこのクツを見ると思い出す。もう一度あのオヤジに会ったら、俺の1ペニーを返せと言ってやりたい。顔なんて覚えていないけれど。そんな色んな思い出がつまった一足だけに、このクツも大切なコレクションになった。ただ、ほとんど履いていないのに、アンクルの表皮が溶けてシグネチャーが読めなくなってしまったのが、残念ではある。
![]() Autographed label |
![]() Soul of sole |
![]() Ralph Lee Sampson Jr. |














